NO.1   2014.9.9  <豆狸のフン>

新しい「いのち」と出会いました。
小さくて、愛らしくて、元気な「いのち」です。

9月5日の朝、東京に住む息子から「今日、子供が産まれる」と電話がありました。

その後、「今分娩室に入った。」という連絡を受け、私は電車を乗り継いで、
今、産まれたばかりの赤ちゃんのもとにかけつけました。

そして、しばらくの間、肝臓のあたりに手を当てさせてもらいました。
(これは、野口整体で学んだことです。赤ちゃんが初乳を飲む前にこうするこ
とで、胎便を出すことをうながすのです。)

次の日に、「コールタールのような黒い便がたくさん出た。」と聞いて
「やったー!」と嬉しかったです。

豆狸(私の初孫のことです)は、元気な女の子です。

昨日から今日になる間にも、成長し変化しているのを感じます。
私は、後頭部とお腹に手を当てて、暖かい小さな「いのち」と交流しました。
(子供にはこの二か所に愉気(手を当てること)をするのが基本と習いました。)

それから小さな声で「天使の子守歌」を歌いました。


激しい痛みに耐えて子供を産んだ母親の、凛とした美しさと強さを感じます。
父親になった喜びと溢れてくる愛が、母と子を包みこんでいるのを感じます。

新しい「いのち」の誕生が、周りの人達の新しい世界をひらいていくのです。


今産まれたばかりの、みずみずしい心で、

この世界のすべてと出会ってゆこうよ♪



NO.2   2014.12  <新しい呼び名>

新しい命が誕生したことがきっかけで、祖母という立場になった私の、新しい
呼び名を考えた。そして、「ばぁばら」と、呼んでもらうことに決めた。

なんとなく、華やかで豊かな感じのひびきがする呼び名で、気にいっている。
新しい命に導かれて、自分がもっと美しく、やさしく、強く、賢い存在になっ
てゆこうという気持ちになる。

そして新しい命は「みのり」と名付けられ、「みいちゃん」と呼ばれている。
でもって、パートナーのヒデさんは、始めは「ひでじぃ」という呼び名を採用
していたのだけど、ここにきて「グランパ」にしようかなと言ったりする。
いいんでないの、「ばぁばら」のお相手にはそのほうが合うと思うしね。

私が今まで使ってきた名前には、人からこんな人と思われているレッテルや、
私自身が私はこんな性格、こんな人と自分で勝手に思い込んでいるレッテルが
貼りついていて、なかなかはがせない。
それがちょっと窮屈で面白くないなと感じていた。

産まれたばかりの「みいちゃん」には、無限の可能性がある。
それに便乗して、「ばぁばら」も、自由にどんな風な存在にでもなっていって
みようかなと思う。

さっそく、あるグループの中で、それまで「ぽんちゃん」というニックネーム
で呼んでもらっていたのを、「ばぁばら」に変えたら、一気に気分が変わった。
たぬきから、大人の女性に変身した気分だ。
とはいうものの、近々、そのグループの中で、仲間三人と、特殊メークをして
余興をやるはめになった。その時は、化けるのが上手なたぬきのキャラクター
に登場してもらわなければならない。

私の中には、色々なキャラクターが存在しているけれど、まじめで、努力家の
京子さんは「人に好かれ、自分の言動が人のためになり受け容れられること。
誰をも傷つけず、傷つけられもしないこと。」を望んでいる。
でもそのために、自分の本当の気持ちを押さえて、いい人の仮面をかぶりがち。

ここで一節、歌わずにはいられない。

 ありのままの姿みせるのよ♪ ありのままの自分になるの♪
 もう何も 恐くないわ♪ 風よ吹け♪

そう、嫌われる勇気が必要。非難されたり無視されても、めげない心が必要。
誰が何と言おうと、どう思おうと、自分を信じて愛してゆこう。
やりたいことは何? 楽しくってづっと続けてもあきないことって何?

あるがままに自分を表現している赤ちゃんを、暖かく見守り続けることで、
その子の個性が健やかに育ち、美しく花を咲かせるのがとても楽しみだ。

子供は、自分にとって一番いい親や環境を選んで産まれてくる。
そしていつだって、一番いいことが、一番いいタイミングで起きている。
みいちゃんが産まれて、ばぁばらが誕生したのも、素晴らしいことだ。

新しい「いのち」の誕生が、周りの人達の新しい世界をひらいていく。
子供に育てられてきた私は、こんどは孫に育てられていく。
それが楽しくてたまらない。



NO.3   2015.1.22 <ハーモニープレゼント>

なんとなく思いついて、ブログを始めました。
心に残った日々の出来事を、自分のための覚書として、日記風にね。

メールマガジンよりは、軽い感じなので、ちょこちょこ書けています。
よろしければ、読んでいただけると嬉しいです。

「ハーモニープレゼント」という題名です。

心の中が平和で調和に充ちている状態を、自分にも周りの人にもプレゼント。
ばぁばら(私の新しいニックネーム)はそれを願っているという気持ちね。

参考までに、最新の記事を載せてみました。


(ごんぎつねの湯 )

長年生きてくると、体のあちこちに、ちょっとした不具合が生じてくるのはしかたのないことかな。
歩くのに差し支えはないけれど、ある角度に曲げると左足の親指に痛みが出る。
整形外科で、レントゲンを撮ってみると、その部分の関節が傷んでいるとのこと。
でもね、それは長年かかってそうなったもので、治療法はなし。その部分に負担をかけることをしないで、いたわるしかない。

それから、寒くなると左脚のふくらはぎのあたりが、神経痛でうずく。
たぶん、長年の冷えのせいだと思う。(冷えは打撲のようなものと、聴いたことがあるけど、まさにそんな感じだ。)

病気やケガの原因は心因性によるものという考え方は、ちょっとわきに置いて、大切な私の体に、物理的にできることをやってあげなくてはと思う。

温めたり、じっと手を当てていると、少しは痛みがやわらぐような感じがするけど、痛みは何度もぶり返す。

それならば、温泉かな。と思い立つ。

ということで、今日は、ヒデさんと二人で、半田にある「ごんぎつねの湯」に行ってきた。
確かに、左脚のほうが、温まりにくい。深い芯のところまで冷え切っているような感じがした。
それでも、露天風呂に入っていた常連さんが、「ここのお湯はよく暖まるし、神経痛にきくよ。」と言っていたので、ちょっと嬉しくなる。

さらに、もう一つ嬉しかったのは、近くに「パンのトラ」があって、そこで、焼き立ての美味しいパンを食べれたこと。

そして、さらに、「新美南吉記念館」にも寄って、「ごんぎつね」の話をミニシアターで見たり、ジオラマになっている、南吉の童話の世界を楽しんだりした。展示されていた絵本を読んで、その言葉の美しさが胸にひびいてきたりもした。

そしてさらに、帰りの車の窓から外を見ていた時、田んぼのあぜ道を二匹の犬を連れて散歩している人の姿が遠くに見えた。その時、二匹の犬が、嬉しそうにはねまわっている姿を見た瞬間、犬の喜びが胸の中に飛び込んできて涙がでそうな感じになった。

心がすっかり童話の世界にひたっていたせいで、そんな気持ちになったのだと思ったけど、喜びの波動って、伝わるんだなとわかった。

ということで、色々みんな、ごんぎつねに感謝したいような一日になった。

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とまあ、こんな感じで書いてます。
たぬきが、きつねの湯にはいりに行くなんてね。ふふふ。   



NO.4  2015.4.6 <心の扉を開く>

3月7日に「セルフアウェアネススキル」を学ぶ講座に参加した。
それは今まで自分を知ってゆくために色々学んできた私にとって、間違った思
い込み、信念を手放してゆくのに、とても役に立つスキルだと思った。

ということで、自分の心を正直に見つめてその時の体の感じと、わいてくる感
情を感じていった。
私には「自分は色々なことを学んで真理についてよくわかっている人。でも○
○さんは何もわかっていない人。きっと寂しい人で何か辛い思いをかかえてい
るのだろう」と、考えてしまう傾向がある。
そして、そう思っている時の私は、相手を見下して、自分のほうが上だと思う
ことで、自分を支えている状態になっているのだ。
そして、本当は自分が感じている寂しさや辛さを感じないようにしているとい
うことなのだ。
このパターンを手放すために、なぜ自分がそんな風なのかと問いかけていった。

そして、私の心の奥にあるものを感じていくと、弟が産まれて、「お姉ちゃん
なんだから」と言われ、自分が一番欲しいものを我慢しなければならなかった
三才の私に出会った。
「三才の私が欲しくてたまらなかったものって何だったの?」と問いかけた時、
ふいに歌が出た。
「げんこつ山の狸さん、おっぱい飲んでねんねして、だっこして」まで歌いか
けたところで、どっと悲しみの感情が溢れだした。そして、
「だっこして、だっこして、ほしいよぉ〜。わぁ〜ん。」と、三才の私が大泣
きをした。

私は母に、私も抱っこして欲しい。と言えずに我慢したのだ。そしてその悲し
みと寂しく辛い気持ちを心の中に閉じ込めたままだったのだ。とわかった。
そんな三才の私がかわいそうで、涙が流れた。そして気のすむまで、だだをこ
ねて泣く私をやさしく抱きしめて見守ってあげた。

たとえば、子供の頃心が傷つくことがあったので自己肯定感がなかなか持てな
いのだと理解しても、頭でわかっただけではだめなのだ。
心と体で、その時封印された感情を思いっきり感じて流してあげなければ、
何も変わらないのだ。
そして、それと同時にその時信じこんでしまった間違った思い込みや信念に気
づいて手放してゆくことも今回のスキルのポイントだった。

私が三才の時に「私が本当に欲しいものは与えられない。我慢しなければなら
ないんだ。」と思い込んでしまったその信念を手放さない限り、頭でどれだけ
理解し、ポジティブな言葉を唱えても、現実は変わらないのだ。

「どうせだめ」という思い込みは、三才の時に封印した感情と一緒に、そのま
ま冷凍保存されているようなものだ。 解凍されて、その時の鮮度そのままの
感情を体験し、感じつくさなければ、溶けて消えてゆきはしなかったのだ。

そしてその時、母に愛されるためには、弟よりすぐれている良い子でいなけれ
ばならない。という思い込みも心に深く刻まれたのだ。
だから絶えず人と自分を比較して自分のほうが上と思いたがる自分が居たのだ。
大人になって色々なことを頭で理解しても、心の奥の傷ついた子供の私が、
私の無意識の言動を支配し続けていたのだ。

そして今回、心の奥に押しやられ、忘れ去られた子供の私を愛をもって見守り
癒すことができて、私は、やっとその先へと進むことができたのだ。

その先とは、心の奥にある輝くような感謝と喜びの体験だ。
私が封印し感じないようにしていた寂しさ、悔しさ、悲しさなどの感情を、
しばらく感じて泣いていると、それはだんだん薄れて消えて行ったのだ。
そして、なんとなくぽっかりとした心に、ふと父におんぶしてもらった体験が
鮮やかに思い出されてきて、「たくさんおぶってもらった。たくさん愛された」
という思いが溢れてきたのだ。
そして洪水のように、父への感謝の気持ちが溢れだしてきて、「ありがとう。
幸せだぁ。」という感情だけが心を満たすという体験をしたのだ。
そして、その感情が、それまで私の心の中にあった、父への不満やいらだちや
嫌悪感を根こそぎ流し去っていったのを感じたのだ。

私は今回の体験によって、正直に自分を見つめ、どんな感情が現れてもそれを
感じ尽くすことで、閉ざされた心の扉が開かれて、心の奥にある光があふれだし
世界に放たれてゆくということを実感したのだ。



NO.5  2015.7.18 <失敗してもいいんだよ>

スーパーの魚売り場で「今日の夜は何がいい?」とパートナーに聞く。
「これがいい」と言ったものが、私が頭の中で考えていたのと違ったので、
「えーそれなの」と嫌そうに否定してしまう。
「そっちが聞くから答えたのに何で否定するんだ!」と言われてはっと気づく。
またやってしまった。どうしよう。と思ったとたん、心が固まってしまう。

私には無意識に相手を否定することを言ってしまうクセがあった。
それによって相手の怒りを引きだし、こんどはそれに怯えて固まってしまう。
気まずく不調和な状態になり、お互いに嫌な気分を引きずってしまう。
そしてそんな失敗をやらかしてしまった情けない、恥ずかしい自分を責め続け
てしまうというパターン。

なんでそうなってしまうのか? 後日、自分の心を見つめてみた。

相手の怒りを引きだすようなことを言ってしまって、「失敗した!」と思った
瞬間、自分を恥じて、責めて否定する気持ちがわいてくる。
そして、どうしていいかわからずに固まってしまう。
まさに、子供の時、何か失敗をして親に叱られた時と同じ状態になってしまう。
そんな時私の心を支配している思い込み。信念とは。

相手の怒りをかったら簡単に修復はできない。ゆるしてもらえない。
そうなってしまう自分はだめな人間だ。恥ずかしい、信頼できない人間だ。
失敗しない人間、完璧で間違いを犯さない人間でなければ自分を信頼できない。
間違いを犯し失敗する自分はゆるせない。

書き出してみて初めて、自分がそんなことを信じていたことにやっと気づく。

それって、自分に対して、人間として不可能なことを求めているんでないの?
できるわけがないことをやれと言って、失敗したら激しく責め続けていたのだ。
とんでもない自分いじめだった。即やめようと心底思った。

そして失敗してもいいんだ。と、やっと、心から本当にそう思えた。
そもそも失敗して学ぶために産まれてきているのにね。

心が一気に楽になった。自由になった。体も楽になった感じがした。

そして失敗してもいいんだ。ということを受け容れたら、数日後に、そういう
場面に遭遇した。そして楽しかった。

ぶらりと訪れたある場所で、和太鼓のグループの演奏があった。
みんな楽しそうにやってるのが良かった。

年配の男性が、太鼓を打ちながら、バチを空中に投げて受けとめて続きを打つ
というパフォーマンスになんどもチャレンジしていた。
失敗して、ポロリとバチを落としては、拾って、また投げてまたポロリ。
うまく受けとめれる時もあって、そんな時は拍手がわく。
でも、落とした時も、ご愛敬で、観客は楽しい気持ち。
そういうことなんだ。と、心から納得した。

きわめつけは、演奏も最後の方になったところで、突然、野球のユニフォームを
着た男性がかけ込んで来て、ひとつあまっていた太鼓をみんなと一緒にたたき始
めたこと。
かけ持ちの野球の試合が長引いたんだな。と思った。
それでも楽しげに力強く太鼓をたたく姿に好感がもてた。

失敗することは、恥ずかしいこと、みっともないこと。だから、失敗しない範囲
でしかやらないようにする。というのはなんと窮屈なことだろうと思った。
自分が楽しむこと。チャレンジし続けること。のびのびと自由にやること。
人からどう思われるか気にして、委縮するよりそのほうがいいのだ。

頭ではわかっていたけど、無意識に失敗を恐れる心が、それをじゃましていた。
その無意識の心にアクセスして、間違った思い込みをやっと手放せた。と思う。

失敗を恐れて、上手くやれる範囲でやるというのは自己限定、自分の可能性を否定
することだと気づいた。
人間には無限の可能性があると頭ではわかっていても、無意識の心の中に失敗への
恐れがある限り、可能性は開かれないんだと思った。

ずっと長い間、私をしばりつけていた大きな鎖の一つがはずれた。

失敗を恐れて緊張するから失敗して、失敗を恐れずにリラックスしてやるから
失敗しないんだ。という当たり前のことも、すとんとわかった。

もともと失敗はないのだ。すべては成長の糧となってゆく体験なのだ。

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家族との関係が、平和であることを願って、日常の中で繰り返される、不調和
なパターンについて、何が起きていたのかを見つめるようにしている。
その時は気づかずに、無意識に感情的に反応してしまっても、後で振り返ると
見えてくることがある。
そして、思いもかけない、自分の無意識の思いこみに気が付くこともできる。
頭でわかっていても変えることができない自分を変えることができたりする。



NO.6  2015.7.25 <蛙になって、絶望感を手放す>

心にひっかかる嫌な体験は、思いだすと胸が痛み、早く忘れたいと思う。
でも、そこに大切なメッセージがある。ということがわかってきた。

体の症状でも、同じだ。病気や怪我や痛みは、体からのメッセージ。
とはいうものの、数年前から時々起こってくる神経痛のような左脚の痛み。
なんとかしたくて、早く楽になりたくて、色々試みているのに変化がない。
そこには、長年にわたるさまざまな想いが重なりあっているのかもしれない。

以前、友達の順子さんの「タッチドローイング」のワークを受けたことがある。
インクを塗ったボードの上に紙を重ね、感じるままに、手で描いてゆく。
順子さんのリードで10枚程描いたところで、それぞれの絵に題名をつけてい
くと、そこにその時の自分にぴったりのストーリーとメッセージが現れてくる。
頭で考えてもわからない時は、こんな風にして自分の無意識にアクセスできる
んだと感動した。

それで、そのための道具がないので、クレヨンで脚の痛みを絵に描いてみると
いう自己ワークをやったことがある。
始めは痛みをギザギザの線で描いて、その次に別な図柄がでてきて、と感じる
ままに何枚か描いていったら、最後に出てきたのが、「にこにこ顔の蛙の天使」
の絵だった。「なんだこりゃ。」と思ったけどなんとなく腑におちた。
こういう自分を表現するといいのかなと思った。

脚の痛みは全然ない時もあって、忘れてしまいがちだったのが、今年に入って
から、その頻度と痛みが増してきた。
それで、体で感じていることと、そこに、どんな感情があるのか、どんな思考
があるのかを、切り離して観ていくことで、そこにある信念に気づいてゆくと
いうスキルを使って、自己ワークをやった。

左脚が痛いと、体はちぢこまり、呼吸も浅くなる。
いやだなぁ。またかぁ。治らないのかなぁと、不安になる。
何が原因なんだろう。早く治したい。でもどうすることもできないと思う。

そして、こういう感じって子供の時にも感じたことがあったな。と思いだす。

それは、自分の体の欠点、醜さを親から指摘されて、どうすることもできなか
った子供の私の姿。

体は、胸がつまり、歯をくいしばり、首肩の後ろが緊張する。
絶望感、悲しみ、屈辱感、自己卑下の感情がある。
どうすることもできない。助けて。どうしたらいいのか教えてと思う。
そしてそこには、「私は自分を変えたいけど変えることができない。私は自分
を救いたいけど救えない。」という思い込み(信念)があった。
(そんな信念なんていらない。と、心の中から取り出して手放す。)

「私が本当に欲しかったものは何なのか。」と問いかける。

「あるがままでいいんだよ。あなたは美しいんだよ。」と認めて欲しかった。
わずかな欠点だけをとりあげて、あなたはだめと全否定されたくなかった。
私がたくさん持っている素晴らしさを認めて欲しかった。

それは子供の私が欲しかったものだけど、その子供は今も私の心の奥にいて、
誰にも気づいてもらえない絶望感を感じながら、それを願っていたのだ。
そして今、それを私に与えてあげることができるのは私しかいないのだ。


「絶望感を感じないようにするために、首の後ろを緊張させる」という言葉が
思い浮かんだので、数日後、絶望感を感じる自己ワークを試みた。

絶望感を感じている時の体ってどんなかなと思った時、体に強い緊張感があり、
前で手をしばられて腕がねじれているような感じがした。
そして、そう感じた時に、まさに、手を縛られて、穴の底の牢屋に入れられて
いる私のイメージが浮かんだ。
一人きりでどうすることもできない状態だ。
でも、その時、上から光が入ってくるのに気がついた。
(ここから後のストーリーは、なんとなく思いつくままなんだけど、自分でつ
くっているのかなとも思ったりしてよくわからない。)

穴の中に閉じ込められている私のところに、上からナイフのついたロープが降
りてくる。
私は手首を縛られていたロープを切って、下ろされたロープを体に巻きつける。
誰かがひっぱりあげてくれて、最後は手を引いて外の世界に出してくれる。
自由な大地、青空。胸が広がる。解放感。自由自在だ。と感じる。

そして気づいたことが二つある。

穴の中に私を閉じ込めたのは私。とじこめられたのは私。助け出したのも私。
すべて私ということを知った。

そして、穴の中に居た時、そこは真っ暗ではなく、さほど嫌だというわけでは
なく、慣れ親しんだ感じがあったということだ。
このまま変わらなくても、ま、いいか。みたいな。うすら明るいよどんだ感じ。

その感じに心当たりがあった。

疲れやすく何かの加減で体調が不調になる。そんな自分の体を信頼できなくて、
ほどほど、そこそこ、出来る範囲で。と考えている私。
本当は、もっともっと自分を表現したいはずなのにね。

左脚の痛みは、そんな私へのメッセージなのだと思う。

明るく、無邪気で、喜びにあふれた、私が本来持っているエネルギーを、もっと
自由に、あるがままに表現してゆこうよ。ということなのだ。

田んぼにひびきわたる、にぎやかな蛙の歌声のように。

そう、ここにきて、「にこにこ顔の蛙の天使」のイメージを思いだした。

蛙の歌が聞こえてくるよ♪ くわっくわっくわっくわっ♪ 

けけけけ けけけけ くわっくわっくわっ♪

そうだよ!! わっくわっくすることをやらなくっちゃね。ふふふ。

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「自分の中で、自分を認めていない領域がいくつもある。」と、言われた。
そのせいで、自分の人生に不調和が起こってくるのだ。

それに気づいた時に、丁寧に見ていくことが、できるようになってきた。
以前は、セラピストさん等に、寄り添って、見守ってもらっていたけれど、
自分を見守れる自分が育ってきた。

色々学んだことを生かしながら、自分を知り、癒してゆくことは面白いことだ。
そして、自分を愛おしく思う気持ちがわいてくるのが嬉しい。



NO.7 2015.8.11 <「紙芝居の会」札幌にて>

今年の三月に、札幌に住む93歳の父が、老人ホームに入所した。
ころんで腰を打ったことがきっかけで、歩くことができなくなったからだ。
始めは車イス、そして少しずつ歩行器を使って歩けるようになった。
時々様子を聞いたりしていて、何か楽しいことをしようと思った。

ということで、先日札幌へ帰った時に、父のホームで「紙芝居」を演じた。

事前にホームに問い合わせ、日時と時間を決め、舞台と紙芝居は宅急便で送っ
た。
どんな作品がいいのか、途中で入れる手遊びは何にしょうかと、色々考えた。
紙芝居サークルの仲間と活動をして7年ほどになるので、慣れてるとはいえ、
すべて一人でやるのは初めてだ。

東京に住む息子の家族が、父にひ孫を見せに来て合流した。
近くに住むいとこのTちゃんにも声をかけて、見に来てもらった。
食堂にイスをならべ、マイクも用意して、父のために前のほうのいい席を用意
しておいたのだけど、父は目立たない端の方に座って、私が娘だということも、
言わないで欲しいと言った。

ということで「紙芝居パフォーマー」の鈴木です。と挨拶をしてさっそく紙芝
居を演じる。
はじめの作品は「てつだいねこ」ねこが娘にばけて田植えを手伝う話だ。
紙芝居を演じながら、会場にいる父の表情をみると、楽しんでくれている様子。

二つ目の作品は「ばかされギツネ」これは落語の「王子の狐」を題材にしたも
のだ。数年前、一年間「落語」を学んだ私にとって、お気に入りの作品だ。

そして、ひと休みして「手遊び」のコーナー。
「ふるさと」の歌に合わせて、肩やひざをたたいたり、指を動かしたりした。
紙芝居の会に参加してくださった25人ほどの方達と父も、私と一緒に体を動か
したり歌ったりして楽しんでくれていた。

三つ目の作品は「たこやたこざえもん」これは、二つの話が一つになっていて、
すこし長めだ。めでたしめでたしで終わるのがいい。
以上で三十分ほど、あっという間に楽しい時間が過ぎた。

私がどんなことをやるのか心配そうだった父が、「声がはっきりとしていて、
良く聞こえてよかった。」と明るい笑顔で喜んでくれたのが本当に嬉しい。

今回、息子達にも私の紙芝居を見てもらえて本当に良かった。
息子は8月の終わりにはイギリスへ転勤になるので、私は少し寂しい気持ちだ
った。

私以上に緊張していた、いとこのTちゃんが、「京子ちゃん、プロなんだね。」
と言ってくれた。そして私の立ち姿が亡くなった母に似ていて胸が一杯になった
とも言ってくれた。

さらに、二時間ぐらいなら、椅子に座っていても腰に痛みがでなくなった父の
ために、別な日にもう一つ企画したことがある。
ホームの一室を借りて、父と私とヒデさんと息子で麻雀をやったのだ。
そして父が一番勝ったのだ。
以前ホームの仲間とやった時は、みんな弱すぎてつまらなかったとのこと。

父は、リハビリを続けて杖をついて歩けるようになって、外の蕎麦屋さんに行
くことを目指していると言った。
そして、図書コーナーに寄贈された本を借りて読んでいた。

ありふれた(退屈かもしれない)ホームでの日々を、坦々と生きる父の姿に、
私は励まされた。

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7月31日から8月7日まで、札幌の実家ですごした。
家の掃除と片づけをやり続けながら、途中で合流した息子達と、亡くなった
弟の家族と、お墓参りをしたり、美味しいものを食べて、楽しく過ごした。
健やかに育ちずっしりと重くなった孫が、保母をやっている義妹になついて、
ずっと抱っこしてもらえて助かった。

今回、みんなで街の中にある水族館に行った時、魚達がそれぞれに個性的で、
面白く美しいのに感動した。
特に、北海道に住む「オショロコマ」(サケ科のイワナの仲間)に出会った
時は、なぜかわからないけれど、愛おしさで一杯の気持ちになった。



NO.8 2015.10.10   <ハートにドルフィン>

10月2日から、8日まで、ハワイ島に行ってイルカと泳いできた。
ヒーラーの山本美穂子さんとハワイに住む野崎友璃香さんが企画してくださっ
た一週間の旅。参加者は10人。
集合はコナ空港だったけれど、豊田から友達と二人で行けたので心強かった。

私の願いは、無邪気で自由で愛に溢れたイルカ達と交流することで、少しでも
イルカのような生き方ができるようになりたいということ。

ハワイ島のコナ空港から車で、イルカ達が訪れるというケアラケクア湾の近く
のサウスコナへ。
小高い丘の上にある、緑の自然に囲まれたバケーションハウスが宿泊場所。
ベランダから海が見えるゆったりとしたオープンな空間に心はくつろいでゆく。

さっそく、シュノーケリングの練習をしに海へと向かう。
背が立たないところでは泳げない私のような人には、専属の人がサポートをし
てくれるので安心だ。

初めて入ったハワイの海は、冷たくはなくやわらかい感じがした。
水族館で見ていた魚の泳ぐ景色が、そのまま目の下にあるのは不思議な感じだ。

3日の朝、ボートに乗ってイルカを探しに行く。
海の色が青く澄んでいる。ブルーハワイってこのことかと感動する。
それにしても、こんなに広い海でどうやってイルカに出会うことができるのだ
ろうと思う。

始めは北の方に向かっていたけれど、今日はそちらにはいないらしいので、引
き返して南へと向かう。
そして、ついにキャプテンがイルカと出会えるところにボートを止めた。
体に浮き輪をつけて、さらに手をつないでもらって、海の底を見ると、野生の
イルカの群れが泳いでいた。
何頭かが一緒になっていたり、二頭ならんでいたり、親子だったりと、色々だ。

少しするとイルカは遠ざかって見えなくなったので、ボートにあがった。
それからさらに、キャプテンは、イルカの泳いでいった先まわりをして、そこ
にボートを止めて、また海に入った。
たぶんさっきのイルカ達の群れとまた出会った。

それから、またボートにのって、しばらく行って海に入ったけれど、こんどは
出会えなかった。それでももう一度、ボートを走らせて、また海に入った。
そして、さっきの群れとは違う群れのイルカ達と出会えた。

私はそんなに近くまでいけなかったけれど、イルカがすぐ横を通り抜けて行っ
たという人もいた。そして、この日のドルフィンスイムは終わった。
みんな大満足の大感動だった。

私達は、ボートに乗る前に、友璃香さんのリードで、海に住むイルカ達に、愛
を込めて、会いたいという気持ちを伝えた。それをイルカ達がキャッチして、
会いに来てくれるから、きっと出会えるということだった。
それは奇跡のようなことなのに、まるで出会えることが当たり前のことのよう
にも思えていた。

この日の午後は、いくつかのパワースポットに行き、素晴らしいエネルギーを
感じたりもして、喜びに充ちた豊かな時間が流れた。

4日の午前中は、美穂子さんがリードするプロセスワークがあった。
今回の参加者は、ほとんどの人が初対面であったけれど、イルカと泳ぐという
素晴らしい体験を分かち合っていたので、私の心に変化があった。

外側の印象から、この人はこんな人かなと思うことが、とても狭い自分の勝手
な思い込みにすぎないと気づいたのだ。一人一人の人がみんな海のように深く
豊かな心を持っていて、違った体験があり、それぞれに個性的な存在なのだと
感じた。そしてお互いのことをもっと知りたいと思った。

午後からは自由時間だったので、ハワイのマッサージをしてもらった。
そして、楽しい体験コーナーを提供してくれる仲間がいて、それが思いがけな
いプレゼントのようで、本当に嬉しかった。

5日は、黒砂海岸へ行った。溶岩が固まってできた大地を歩いていると、どこ
か違う星に来たかのような感じがした。
力強く打ち寄せる波、体にふきつける風、黒い地面に充ちている地球のエネル
ギーを感じながら、瞑想をしたり、祈ったりした。
それから、ボルケーノ国立公園に行き、「火の女神ペレ」に想いをはせながら、
「ホ・オポノポノ」の儀式を行った。

6日は、もう一度ドルフィンスイムの予定だったけれど、風が強く波も高く、
ちょっと無理かなと思った。
でも、先日のキャプテンがボートを出してくれたので、海へと繰り出した。
この日は、岸に近い所など二か所でシュノーケルを楽しんだ。
そしてイルカを探して海をゆくのだけど、波が高いのでボートがジャンプして、
ジェットコースターに乗っているみたいで、それが面白くって、私達は歓声を
あげたり、笑い続けていた。

そしてついに、キャプテンが絶妙な運転さばきで、イルカのいる所にボートを
止めて、短い時間だったけど、海に入ってイルカの群れを見ることができた。

そして、私達がもどってゆく時、海の上にイルカの姿が見えた。
何度も、高くジャンプしてスピンするイルカ。
二頭ならんで、海の上をジャンプしてゆく小さなベビードルフィン。

その姿をみた瞬間、涙があふれてきた。なんて愛おしい存在なんだろう。
私達への無邪気な呼びかけ。無条件の愛の波動で、私のハートが充たされた。
「イルカちゃん、ありがとう」と、何度も叫ばずにはいられなかった。

夢のような時間があっという間にすぎた。
旅を共にした私達は、素晴らしいハーモニーを感じさせるイルカの群れのよう
になっていた。
ハワイ島での色々な体験は、私の中に素晴らしい何かを残してくれた。

野生のイルカと交流できたことで、私のハートの中でイルカがジャンプする姿
が感じられて、思わず涙ぐんでしまうようになった。

今回の旅で出会ったすべての人達への感謝の気持ちでいっぱいだ。

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「イルカが教えてくれたこと」野崎友璃香 (講談社)という本には、ステキな
メッセージがたくさん込められています。
私は、何度も読み返してハワイでのことを思い出しています。



NO.9 2015.12.1  「熊がでたぁ〜」

11月28日と29日の二日間、タッチドローイングを体験した。

始めにドローイングのための儀式をする。
それから、板の上にローラーで絵具をぬり、その上に薄い紙を置いて、感じるままに手で描いてゆくということを、10回ほど繰り返してゆく。その間、ファシリテーターは、静かな音で、楽器を奏でたり、歌をうたったりして、その場をホールドしている。
描き終わってから、一枚一枚の絵に題名をつけてゆき、そこから感じることなどを語ってゆく。

私にとって今回は三回目の体験で、今までは、一日だけの参加だったけれど、今回は二日間にわたって参加したので、色々と新しい体験があってとても面白かった。
タッチドローイングでは、頭で考えてもわからないことが、絵という形で表現されることで、今ここの自分自身への気づきが深まり、心の整理がついたり、先へ進む勇気をもらえたりする。

描いたものを順に並べてゆくと、そこに一つのストーリーが展開して、そこに登場した存在から色々なメッセージが与えられる。
今回私がつけた絵の題名は、「ぬくもり、鳥の森、まじりあう、分かれて立つ、一緒に泳ぐ、あこがれてジャンプ、歌う花、楽しげに上昇、緑の炎、自由に飛ぶ、歌をうたう大きな熊、広がるハーモニー、みどりの光」
二日目に描いたものは「強いうずのエネルギー、上昇し広がるエネルギー、降りそそぐもの 包み込みうけとめる、精霊の木、くねくね踊る花、大海原で楽しげに歌う人魚、海の中から立ち昇り吐息をはく龍、私の顔(女王)、私の顔(菩薩)」

二日間の内容は、つながっていて呼応しあうものがある。
私の中に、森のエネルギーと、海のエネルギーがあるのがわかった。
そして、「楽しげに、歌う」というキーワードが出てきた。

最後の作品は、インクをふき取るために紙を置きローラーをかけるので、一つ前の作品と、ポジとネガの関係になっている。
私の場合、並べてみると、ネガのほうが、深みがあって心にしっくりと感じる。

家に帰ってから、三年前のものと、二年前のものを見てみると、自分の成長がわかったり、同じキャラクターが登場していて、ストーリーがつながっている。

タッチドローイングで大切なのは、場をつくりそこを支えるファシリテーターの存在である。描く技法は、難しいものではないけれど、その人がどれだけ深く豊かに、自分自身の内面と関われるかは、目には見えないけれど、場のエネルギーが大きく関係してくる。
当然ながらその時集まったメンバーによっても、場の深まりは違ってくる。

今回は私にとって、最高に素晴らしい場であった。
ファシリテーターの倉田順子さんは、私が尊敬する友達である。アメリカ人のデボラさんが産み出したタッチドローイングを日本に紹介してくださっている唯一の人である。
そして何をする場合でも大切なもう一つのこと、心と体をゆるめてリラックスするということを、「なごみのヨガ」でリードしてくださったり、会場を手配してくださったもう一人の友達、酒井美智代さんの存在も本当に有難かった。

タッチドローイングのワークに参加する以外にも、もう少し手軽に、でも十分に深く、その世界を体験できるものがある。
それは、最近アマゾンで発売された「塗り絵」である。

五つのテーマに分かれていて、今回私は、その中で「愛に心をひらく」というテーマのものを買って、一番心ひかれる絵から順に、色をつけていった。
塗り絵といっても、線はシンプルで、その絵から感じることも人それぞれなので、自由に自分の描きたいものを足してもいける。
愛について、デボラさんが、さまざまな切り口から描いた絵は、なじみのない人にはちょっと不思議なものもあるけれど、頭であれこれ愛について学ぶより、色彩のもつ力と絵が発するメッセージを感じることで、私の中の愛が強く育っていくように感じる。

今回のタッチドローイングでは、描いたものの中から二つ選んで、色をつけた。
私は「歌をうたう大きな熊」というのが面白くて心魅かれた。この絵を描いた時はなんとなく熊を描きたいと思いついて、手を広げ空を見上げて歌をうたう熊を描いたのだけど、なんか足りないなと思って、なんとなく熊の足元に針葉樹を描いた。そして「あれっ」と思った。さらにその木々の後に山を描きたくなって、山を描いた。それらによって熊が一気に巨大化したのだ。(この熊に対して人間は蟻ぐらいの大きさになる。)

家に帰ってからも、この熊の絵をながめていると、心がわくわくしてくる。
そして気づいたことがあった。
私の心の中に傷ついたインナーチャイルドがいて、その子はいつもうずくまって小さくなって心を閉ざすポーズをしていた。
山より大きい熊は、それと間逆のポーズをしているし、楽しげに歌っている。
私の中には、繊細で傷つきやすい子供もいるけれど、何物も恐れることのないこんな熊もいるのだと、じわじわと嬉しい気持ちになる。

タッチドローイングをする前は、予想もしていなかった熊の出現は、びっくりぽんの面白いプレゼントだ。

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10月にハワイに行き、海でイルカに出会い、火山の女神ペレと交流して、エネルギーが充電された。
その後も、岡山の友達に会いに行ったり、高野山に行ったりと、密度の濃い時間を過ごしてきた。
その体験を報告する暇もないうちに、今回は熊が出てきた。

考えるより、感じること。
美しいもの、パワフルなものに出会って、愛や叡智の波動と交流して、魂からゆさぶられる体験へと導かれていることが嬉しい



NO.10 2016.2.6   「奇跡の脳」

新しい年を迎えて、色々な変化が起きている。
常に、一番いいことが一番いいタイミングで起きてくるのだということを、頭では理解していても、突然起こってくることに戸惑うのは、しかたがない。
でもそこから、自分の内側に問いかけてゆくことで起こったことに感謝できるようになる。

お正月に山形に帰省した時に、母と連れあいと一緒に、入院している父のお見舞いに行った。そしてその時突然、医師から「胃ろう」にするか否かということを聞かれた。
92歳の父は認知症で老人ホームに入所しているのだけれど、風邪をひいて入院している間に誤嚥の問題が起きて、鼻から管で栄養を入れることになった。そしてそれでは本人も苦しそうなので、胃ろうにすることを提案されたのだ。

それまでの私は、管や胃ろうで栄養を入れてまで生きるよりは、自然死のほうがいいという考えであった。
でも、「それなら、貴女が管をぬきますか?」と問われる状況では、家族の選択は「胃ろうにするのがいいのでは」ということになる。

そして私は、自然死であれ、延命治療によって長く生きることになるにせよ、その人の寿命は、そうなることも含めて決まっているのだ。と思った。
父が何を思っているのかはわからないけれど、魂の深いところでは、自分の姿を通して、老いることや死と向き合うことについて、私達に教えてくれているのだ。とも思った。

88歳になる山形の母は、周りの人達に助けてもらいながら、なんとか一人で生活している。
東京に住む長男と豊田にすむ次男(私の連れあい)が、時々、交代で様子を見にいったりはしているけれど、自立している強い人だと思う。
今回も、いつものお正月と同じで、お墓参りや、親戚に会いに行ったりするのにお付き合いして、赤湯温泉に一泊し、私達は4日に帰ってきた。

そして、次の日、母が脳内出血で倒れたという知らせが入った。
その日は、東京の義兄が、父の胃ろうの手続きのために山形に行くことになっていたのも偶然ではないように思えた。
そして、母が手術をして一般病棟に移されたところで、連れあいがお見舞いに行った時は、意識がはっきりしなくて、鼻から管で栄養を入れる状態になっていた。

私は、「山形の両親が心穏やかに、天命をまっとうできますように」「そのために私ができる最善のことをなさしめたまえ」と祈った。
そして、母と父の御見舞に行った。
母は、ずっと寝ているようで、意識がはっきりしない。左手は動くけれど、右手は動かない。
父は、先日よりは穏やかな感じがした。じっと私の目を見ているけれど何を思っているのかはわからない。

私は「心の目で観、心の耳で聞くことができる私になさしめたまえ」と宣言をしていた。
でも、頭で考えるのと実際の場面でどうふるまえるのかには、ずれがある。

母の姿を見て最初に思ったことは、自分はこんな風にはなりたくない。ということだった。
母のことを気の毒なかわいそうな人と見る私、上から目線で同情している私が居た。
もし自分が逆の立場だったら、そんな風に思われたくないはずだ。敬意を持って接して欲しいと思うはずなのに。

頭の中では立派な解説がなされている。「人間は本来、光であり、神性(仏性)を持っている存在なのだ。すべてはお互いの学びのために起こっているのだ。ありがとうございます。」と思っても、心が暖かくはならない。感謝も喜びも湧いてはこない。
なぜなのか?

それは私の中に恐れがあるからだ。
もし自分がこんな風になったら、人からどう思われるだろうか。みじめな感じがしていやだなぁ。人に見られたくないなぁ。と、恐れる心があるからだ。
そんなことはとるにたらない小さな事なのだけど。肉体が人間だという考えかたに長い事縛られてきた癖がなかなかぬけないのだ。
確かに、この肉体だけが自分だと思うと、その肉体が老いることも、死ぬことも、自分の外観を他者がどう見るのかということも、すべて恐ろしいことになってしまう。

人間が長い歴史のなかでつくりだしてきた「恐れ」は、幻想にすぎないと理解しているのに、「恐れ」はなくならないのだなぁ。と思った。
そして当然のことながら、「恐れ」がある時は、心を閉ざしてしまうので、心の中にある暖かさや愛が出てこなくなるのだ。

それでも私は、野口整体の「愉気」を知っているので、父や母の身体に触れながら、ただ寄り添うという事もできた。
「愉気」をする時は、何も考えずに「ぽかーん」として、体のぬくもりを心地よく感じているだけでいい。
そして、お互いのエネルギーが交流し、一体感に包まれるのを感じれるようになると、幸せな気持ちになる。


ということで、色々なことを思ったり感じたりして山形から帰ってきて、父や母が本当は何を思い、何を感じているのか知りたいと思った。
そして、友達がフェイスブックで紹介してくれていた「奇跡の脳」ジル・ボルト・テイラー著(新潮文庫)という本に出会ったのだ。

この本は、脳卒中になった脳科学者が、自分の体験を書いた本である。
左脳が壊れたことで起こること。そして左脳の機能をリハビリによって取り戻していく時のこと。右脳だけになった時に体験する世界について。
それはまさに、今、母に起こっていることなのだと思って夢中で読み進めていくうちに、希望がわいてきた。

脳に障害を負った人がどんな風に接してもらいたいと思っているのか。その時その人はどういう状態なのかがわかったことが嬉しかった。
そして、もし母が右脳の世界を体験しているとしたら、それはどんなにか素晴らしいことだろうかと思った。
(この本は、家族が脳に障害を負った人や、そういう人達のリハビリにたずさわる人達に、是非読んでいただきたい本である。と同時に、人間とはどのような存在なのかと、探求する人にも、おすすめしたい本である。)

この本は、私にとって今まで学んだり体験してきたことをさらに深く理解するのにとても参考になった。
そして、母の身に起こったことも含め、まさに、必要なことが、一番いいタイミングで起こってくるということを、実感した。

今から二週間程で、母は病院を替わるので、その時に会いに行く予定だ。
言葉でのコミュニケーションはできなくても、この本に書かれている「最も必要だった40のこと」を参考にして、両親と明るく楽しく関わってゆこうと思う。

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自分の力ではどうすることもできない時は、祈るしかないと思う。
私はずっとそうしてきた。そして、それが一番よかったと確信している。
それは、祈ることで、その時の私に一番必要な出会いへと導かれるという体験を何度もしてきたからだ。

さらに今回は、祈りの仲間に頼んで、両親のために祈ってもらった。
自分一人で祈るよりも、たくさんの光が両親に届くようで心強かった。

いま世界には、そんな祈りの光を必要としている人達がたくさんいると思う。
だから私は、毎日祈り続けている。

「世界人類が平和でありますように。私達の天命がまっとうされますように。」



NO.11 2016.4.  「キャラクトロジー」

色々学んできたことの総まとめとして、HITキャラクトロジー心理学ベーシックマスターの講師となりました。
そして、さっそく、「キャラクトロジー心理学」を伝える講座をスタートさせました。
自信をもってお伝えできる、とてもいい内容なので、一人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
興味のある方は是非、お声をかけてください。

自宅で開催したり、豊田市の駅の近くに場所を借りたり、マンツーマンでお伝えしたり、仲間とコラボで講座を開いたり、ご要望があれば、出前もありで、臨機応変、自由自在に、楽しくやってゆこうと思っています。

キャラクトロジー(性格学)って何?

胎内に居る時から5〜6歳までの乳幼児期の体験(日常的なささいな親子の関わりあいなど)によって、私達は、五つの防衛反応(ディフェンス)を身につけていきます。
それらは、親に依存しなければ生きられなかった子供の自分にとって必要なものでした。
しかし、その防衛反応が、大人になったいまも、何かあるたびに、無意識に繰り返されるということが、問題となるのです。

いのちを守るためにできた防衛反応なので、一瞬にしてスイッチが入って、自分ではそのことに気づけません。
そして、自分が弱い子供であった時の過去の意識状態になって、「怖れから分離を選んでゆく」ということをやり続けてしまいます。
私もずっとそれをやり続けてきました。そして、人との関わりあいの中でさまざまな不調和を生じさせていました。

キャラクトロジーを学んで一番の衝撃は、ほとんどマスク(仮面)をかぶって偽りの自分で生きているのだと気づかされたことです。
感じていると思っていたことも、思考で、感じていると錯覚しているだけでした。

私は、山本美穂子さんのもとで、四年ほど、キャラクトロジーやヒーリングなどを学び続けてきました。
そして、自分が防衛反応によって人を疎外していることに気づけるようになってきたことで、心が、自由で楽になってきました。
自己肯定感が持てるようになり、自分のことも人のことも信頼できるようになってきました。

キャラクトロジーの学びは、ディフェンスをやめていった時に、私達の内側からあふれてくる五つのエッセンスを取り戻してゆくための学びでもあります。
私達がそれぞれの個性を輝かせて喜びの中で生きてゆくための学びなのです。

ということで、これからも色々お伝えしてゆこうと思っていますので、よろしくお願いします。



NO.12 2016.4.23   <奇跡の脳 その2>

山形に住む義母が、今年の1月5日に、脳内出血で倒れた。 右半身マヒ、意識ははっきりせず、ほとんど眠り続けている状態で、2月24日にリハビリのためにS病院に転院した。
その時医師から「かなり重症です。」と告げられた。
それでも少しずつ、声をかけたり、体を起こしたり、飲み込むことができるようになるためのリハビリが始まった。 栄養は鼻からチューブでとっていたので、それがうっとおしくて抜こうとするために、手には手袋がはめられて、それもまたうっとおしい様子であった。
せめて、そのチューブがはずされ、口から食事がとれるようになって欲しいというのが、その時の私の一番の願いだった。
しかし、その時の母の状態からすれば、ものを飲み込むという機能が回復する可能性はかなり低いと思えた。

そして後日、医師から、「鼻のチューブがストレスになっているようなので、リハビリのためにも、胃ろうにすること」をすすめられた。 口から食べれるようになれば、胃ろうをやめることもできるから。ということであった。
ところが、胃ろうの手術の前に、「もう少し様子を見ましょう。」ということになった。 そして、鼻のチューブははずされたのだ。

そのことを知らされた時、心いっぱいに喜びがわきあがってきて、バンザーイと何度もさけんだ。 嬉しくてたまらなかった。そして母に会いたいと思った。
4月15日に久し振りに母にあった時、母の回復は普通ではありえない奇跡的なことだと実感した。 母は車椅子に乗って、廊下の窓から、近くの公園に咲いている桜をながめることができるようになっていた。 優しく笑顔で語りかけると、笑顔で返してくれるようになった。 そして、お見舞いに持っていったプリンを食べさせてあげることができた。
湧きあがる喜びと共に、母のリハビリを担当してくださった方、母の看護をしたくださった方への感謝の気持ちでいっぱいになった。
そして私は、祈りのパワーを実感した。
医師に重症と告げられた時から、私は母のために祈った。 自分一人の力では足りないと思ったので、月に三回開催している「祈りの会」の中で、10人程の仲間に頼んで、毎回一緒に祈ってもらったのだ。

祈りは、確実に届くのだ。 祈りは、その人のいのちの力を応援し、その人が幸せになることを応援し、その人のために尽くしてくださる人がより良い仕事をすることも応援するものなのだと思う。

今回印象に残ったことは、若い女性の看護師さんが、「おむつの交換をしようね。」と母に笑顔で声をかけた時、母も笑顔になり、動くほうの左手でパジャマのズボンを下ろそうとしたことだ。 「あ、協力しようとしているんですね。」と声をかけた私に、「お母さんはおだやかな人でね。」と言ってくださった看護師さん。 看護師さんが、いつも笑顔で、母に語りかけてくれたおかげもあって、母はおだやかな世界に居るんだと思った。

私は、「奇跡の脳」(ジル・ポルト・テイラー著)という本を読んだことで、左脳の機能に障害が起こって、右脳の世界を体験している人が、深いやすらぎを感じていることを知った。 そして、幼児にもどったような母がそういう世界に居ると思えることが嬉しかった。 「奇跡の脳」という本によって私は、人間の脳の素晴らしい可能性を具体的に知ることができた。 そして、その可能性が祈りの力、愛の力によって、引きだされることも知った。

母に関して、今願っていることは、リハビリによって、脳が新しい神経回路をつくって、マヒしている右半身が少しでも動く様になって欲しい。自分で寝返りが打てるようになって欲しいということだ。

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母に会いに行っていた時に、熊本で地震が起きた。 私は、日本という国が一人の人間の体のようだと感じたりもした。 被災された方のために祈り、地震がしずまるように、大地への感謝の祈りを捧げた。



NO.13 2016.7.9 <ピンチ、ピンチ、チャンス、チャンス、ラン、ラン、ラン>

絶対絶命のピンチ。なんていうとちょっと大げさかもしれないけれど、私にとってはたいへんなことが起きた。

持病の、回転性めまいのため、立ちあがるとふらついて気持ちが悪い状態が数日続いていた。
いつもなら、ゆっくり休養をとって、少しずつ回復していくのにあわせて、起きたり寝たりして一週間もすれば、普通の生活に戻っていけた。
でもね、今回は、一向に回復するきざしが見えないまま、四日後はイギリスに行くという状態になった。

去年の秋に息子がイギリスに転勤になったので、会いに行って、ついでにフランスにも行こうという計画を立てていたのだ。
でも、こんな体の状態では行けない。
「とりあえずイギリスまでは行かせてください。観光はできなくてもいいです。」と祈り続けてもいたけれど、神様だけじゃなく、人にも助けを求めなくてはと思った。

人に助けを求める。これが苦手な私。
小さいことならいいけど、一番大変で辛いことほど、人に言えない。というクセがある。

「なぜそうなのか?」ということは、心理学などを学び、自分の心を深く見つめてきているので、わかってはいる。

幼い時に、親に助けを求めても、逆に、しかられてしまったりして、親がそれに対応できなかったという体験のせいで、助けを求めてはいけないという誤認が心と体に染みついているのだ。
助けを求めて拒絶される辛さを感じることを恐れて、固まってしまうのだ。
本当は、助けを求めることで、助けられるということを、頭では充分理解していてもだ。

そして、そんな自分をためされるような出来事がこうして起きてくるのだ。
よっぽど追いつめられないと、勇気を出して、やったことのないことをやろう、新しい生き方をしようと決断はできない。

そして、私は、心理学やヒーリングを学んでいる仲間に、初めてSOSを出した。
みんなの励ましのメール、ヒーリングをしてくれる仲間の存在。
嬉しくて、元気がでた。これで良くなるに違いない。と思ったのに、次の日もまだ回復しない。

もっと助けを呼ばないとだめなんだ。と思い、いつも一緒に祈っている仲間に、「私のために祈って欲しいと、みんなに伝えて。」と頼んだ。
いつもは、そうやって病気になった仲間のために祈りあっていたのに、自分のこととなると頼むことに抵抗がある。
(だって、大変な病気ならいいけど、めまいぐらいじゃ。なんて思ってね。でも、今回はイギリス旅行がかかっている)

そして、数分後、暖かいエネルギーを感じて、肚に力が湧いてきた。「イギリスに行くぞ」という気力が湧きあがってきた。
そして、ふらつきながら布団から起きだし、旅行に行くための準備をし始めた。
「ちゃんと、休んでいろ!」と、家人にどなられながらも。

そして次の日、とりあえず病院に行くことにした。ネットで捜して、めまいに対応と書いてあった耳鼻科で、さらに患者さんの評判の欄に、「先生がやさしく丁寧に対応してくれる」と書いてあった所を選んだ。
色々検査をしてもらって、命にかかわる病気でないし、耳も聞こえているし、自然回復を待つという状態だったので、吐き気止めの薬を処方してもらった。
そして、様子をみながら日常生活にもどっていって、無事にイギリスへと旅立つことができた。

一週間の旅から無事に帰って、やれやれと思って四日後に、またも、めまいが、そして、やりたいこと、予定が続いていた。
またかいな。今度の課題は何? 私はどんな思い込みを手放せばいいの?

でもね。イギリスへ行って来れたという自信があったので、今までなら、家で休んでいるしかないと思う体調にもかかわらず、頭を真直ぐにしておけばなんとかしのげると自分に言い聞かせ、出掛けることにした。
そして、次の日も予定どおりに行動した。それらは、絶対やり遂げる。と決めていたことだったので。

そしてわかった。やりたいことはやれるのだ。そして、やりたいことをやっているうちに元気になって体調が回復していった。

なるほどね、と気づいた。
私には、この持病があるし、体も弱いからという思い込みによって、そういう状況を引き寄せて、やりたいことを思うようにやれなかったのかも!
(やりたいことがいっぱいあるのに、この体のせいでできない。と思っていたけどね。)

私は、自己探求を続け、学び続けてきたことで、今回、ピンチをチャンスに変えることができた。

今回、私が学んだことは、「仲間と助け合って、自分のやりたいことをやってゆきなさい。」という、シンプルで当たり前のことだ。
でも、私がそうだったように、そうしたくてもそれができなくて、苦しんでいる人はたくさん居ると思う。

そんな人達に、心の仕組みと、それをどう変えてゆくのかということを伝えてゆこうと思う。

何の役にも立たない、間違った思い込み、こうあるべきという信念にがんじがらめに縛られて、どうしていいかわからなかった私。
感じると辛いので、感じないように体を固めて生きてきた私だからこそ、本来の自分を取り戻すためにやってきたこと、役にたったスキルを伝えてゆこうと思う。

ということで、「キャラクトロジー心理学」「セルフアウェアネススキル」をベ−スに、私の体験、個性を生かしてお伝えしてゆきますので、よろしくお願いします。

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イギリス旅行のことだけど、「イギリスに行けさえすればいいです。」と神様に願ったとおりになりました。
6月23日、予約していたツアーに参加するために、ヴィクトリア駅に向かう途中、前日降った雨のため、地下鉄がのろのろ運転になったり、途中から行き先を変えたりで、駅に着いた時は、すでにツアーは出発した後。
24日、昼の12時にフランスに着く予定のユーロスターに乗っていたら、あと30分でフランスに着くという所で止まってしまって、8時間ほど遅れて、パリに到着。

私を行かせてくれたのはそういうことなのか。と思いました。
そして、起こったことを心おだやかに受けとめて、色々大変なイギリスのために祈り、フランスのために祈り続けました。

「世界人類が平和でありますように」「私達の天命がまっとうされますように」



NO.14 2016.8.2 <セルフアウェアネススキル(SAS)のセッションを始めます>

セルフアウェアネススキル(SAS)それは、何の役にも立たない間違った思い込み、こうあるべきという信念体系に気づいて、それをはずしていくスキルです。

信念体系とは、世間の常識として、当たり前のこととして、信じ込まされていること。無意識無自覚にやってしまい、自分では気づけない自分の言動を支配するもの。
私達が創造性を発揮して自由に生きて行くことにブレーキをかける足かせであり、過去につなぎとめる鎖のようなもの。

日常生活のなかで生じるさまざまな不調和、人間関係の問題を引き起こす原因は、私達が信じている信念体系が原因です。
「こんなことは良くあること。みんなそうだものしかたないよね。」と、思っていること。「悪いのは相手で、私は正しい。」と思っていること。そんなありふれた日常の状態こそが、信念体系に支配されている状態であることに、気づく必要があります。

SASセッションの参考例
(あるサークルの集まりで部屋に入って行った時、仲間が楽しそうに談笑している。でも誰も私に声をかけてくれないという場面で、「無視された、仲間はずれにされた。」と感じて寂しい気持ちになる私が居る。それはなぜか?その奥にある信念は何? )

はじめに、私の心の中にあった感情は、寂しい。いじけてすねたくなる。
そして私が考えていたことは、私は嫌われているんだ。ということ。
そして、そこにあった信念は、「もし私が声をかけて仲間に入っていけば、拒絶され、痛い思いをするから一人でいよう。」というもの。

そういう自分のすべてを受け容れて感じていくと、その下に「悲しい」という感情があった。
その感情を感じて自分が本当は何が欲しいのかなと心に聴いてみる。
それは、みんなと一緒に楽しく過ごすこと。

私がいつも、なんとなく仲間から離れて疎外感を感じてしまう傾向。一匹オオカミでいいもん。と思う傾向を引き寄せる信念が、ここにあったことに、その時はじめて気づきました。そして、気づいたことで、それを手放すことができました。
私は、仲間に入ろうとして拒絶されることを恐れ、自分から心を閉ざしているせいで、そういう現実を引き寄せて、勝手に寂しがっていたのです。
私がそのような信念を持つようになった原因は、もしかしたら、小学生の時に何度も転校したことが原因だったかもしれないし、それ以前に何かあったのかもしれません。それはわからなくても、心の中の色々な感情を感じきって(これが大切なポイント)自分を幸せにしない信念を、はっきりともう必要がないと確認して、手放したことで現実が変化しました。

セッションを受けてから私の心境が変わりました。仲間と協力しあって一緒にやっていくことに積極的になりました。そして仲間と心の交流が深まり暖かい関係性を築けるようになっていきました。
そして私は、「信頼」というエッセンスを取り戻したのです。

一人で努力し、チャレンジすることも大切ですが、自分一人ではできないところを人に頼って、お互いに協力しあうことで、より素晴らしいものを創りだしてゆけます。
その時に必要となるのが、信頼するということです。本来は自分の中にあったはずの、「自分や人や世界を信頼する」というエッセンスを覆い隠していた「人や世界は信頼できない」という信念をはずせたことで、私はより自由でパワーアップして、楽しくなってきました。

セルフアウェアネススキル(SAS)は、ヒーラーでセラピストの山本美穂子さんが考案されたスキルです。
私はSAS認定プラクティショナーとして、クライアントさんと一緒に、心のしばりをほどいてゆくセッションをすることをとても楽しみにしていますので、よろしくお願いします。

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私達一人一人の心と体が、自由で平和になってゆくことが世界の平和へとつながってゆくと信じて、色々なことを学んできました。
それらを自分の中で統合して、その時の自分にできる、最高最善のものをお伝えしてゆこうと思っています。
私を信頼して、お声をかけてくださいね。



NO.15 2016.10.11  <愛を呼ぼう>

頭でわかってはいても、なかなかできないことがある。

簡単に言えば、「恐れを手放し、愛を選び続ける。」ということ。
これが簡単にはいかない。

そういう自分を育てて、越えてゆくために、たとえば「祈り」がある。

祈りというのも、筋トレと同じで、毎日こつこつとやり続けてゆくことが大切である。と聞いたことがある。
とは言うものの、困った時にばかり熱心に祈るというパターンになりがちだ。

病気や体の不調、人間関係の不調和、それらは、そこに愛が欠けていることを示していると思う。

泣きたいような気持で「愛深い私になさしめたまえ」と祈らずにはいられない時がある。

大切な家族や友達が、困っている時に、心配したり不安になってしまいがちだけど、それは良くない事。と頭ではわかる。
それは相手に、心配や不安のエネルギーを送り、相手のエネルギーを奪うことになってしまう。

相手の「いのちの力」を信頼して「絶対大丈夫すべてうまくゆく」という明るい想いで自分の心の中を充たす。相手のいい所を思いだしていくことで、相手を愛おしく思う気持ちが湧きあがり、心の中に愛が充ちてくる。そして、絶対大丈夫という想いが確信になって心の中に光が充ちてくる。そこを目指して私は祈り続ける。

心の奥にある愛を呼ぼう。その愛で自分を充たし、自分の大切な人を充たし、世界を充たしていこう。と私は思う。
それには練習がいる。筋トレのようにね。

祈り言葉を唱えていても、心が晴れ晴れとしてこない時もある。それでも唱え続けることなのだと思う。
そんな日々が、少しずつ自分の心を強くしてくれるのだと思う。

ある人が言ったアファメーションの言葉が心に残っている。

「私の中にある愛が、唯一、愛の源であることを理解しています。」

私も、ずっと長いこと、自分の外に愛を求め続けてきた。
人から愛されることを願い、嫌われることを恐れ、その結果、自分の心を裏切ってきていた。

それは自分に敬意を持っていないということ。自分を大切にしていないこと。
そしてそうすることで自分の心を閉ざしてしまうので、心の奥にある愛が出ては来れない。

とはいうものの、愛はそんなに難しいものでもない。そこらじゅうにあるものでもある。
たとえば可愛い赤ちゃんをみた時、一瞬にして心が開いて愛おしさがあふれてくるように。

何はともあれ、私達は、愛についてより深く学ぶために生まれてきたのだと思う。
そして自分の中の愛をより引き出してゆけるために、自分で、この人生をプログラミングしてきたのだとも思う。

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孫が二歳になって、幼稚園にいくようになった。その幼稚園のブログを見ると、子供達の様子が写真で紹介されている。
その中で一番小さくて幼い孫の姿を探すのが楽しみである。
彼女はちょっとだけ私の幼い頃に似ている。



NO.16 2016.10.17 <1day講座は一期一会>

キャラクトロジー心理学を一日(6時間)で教える講座を開催し、四人の方にお伝えしてきた。
私の場合は、自宅で、マンツーマンでやっているのだけど、毎回違っていて、面白くて、楽しい。

キャラクトロジー心理学の素晴らしいところは、基本の型がしっかりしていることだ。
私達が自分を知り、自分を愛し、自分を癒してゆくうえで本当に役に立つ知恵とスキルが明確にしめされている。
もちろん、どんなものでも、これさえあればいい。というものはないし、私自身も、色々な学びと統合して、この心理学を伝えている。

私が伝えていきたいことは、人間とは本来どのような存在であるのか。そして、本来の自分が持っている素晴らしさ、能力を取り戻すにはどうすればいいのか。ということである。
そして、その結果、心と体が自由で楽になっていくことで、平和で調和にみちた人が増えていくことを願っている。

私は長年、世界の平和を祈り続けている。そして、祈りの力が、現実に伝わっていくことを、実感している。
特に、誰かのために、仲間が心を一つにして祈る時、奇跡のようなことが起こることも体験している。

だからこそ、願い続けていることがある。
「あの人を善くしてあげたい、と思ったら、まず自分が光にならなければならない。光になるとは、愛そのものになることである。」「愛の純粋さの程度に従って、光の強さが違ってくる。」(五井昌久「神と人間」より)

とはいうものの、「愛そのものになること」という状態がどういうものであるのか、どうすれば、それを実現することができるのかということが、なかなかわからなかった。

わからないのも当然で、私は何かを恐れて、心を閉ざしがちであったし、その結果、自分では気づかずに、愛ではなく分離を選んでいたのだ。
そして、これが自分だと思い込んでいた自分が、マスク(仮面)をかぶった自分であることにも全然気づけていなかった。

キャラクトロジー心理学を学んだことで、少しずつ本来の自分を取り戻していったことで、人生の視界がクリアーになっていった。

ということで、この心理学を一人でも多くの人に伝えてゆこうと思っている。
私が四年かかって学んできたことを、一日で伝えることはできないけれど、縁あって私の講座を受けて下さる人に、その時の最善最高のものをお伝えしようと決めている。
だからその時々で、基本の型は大切にしつつも、私の個性を生かした、毎回違った講座になってくる。

講座を開く前に、私は祈る。縁あって、今日一日を過す方と私にとって素晴らしい創造の一日になりますように。と。
そして、ライブの会場に向かう、アーティストのような心で、セッションルームにしている自宅の二階へと向かうのである。

「来てくださってありがとう。リラックスして、楽しんでね。」

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先日、友達との話の流れから、急に1day講座を開催することになった。
彼女は働いているので、土日で、都合のつく日二回にわけて欲しいということであった。
今までは、家人が留守の時に、開催できたけれど、半日にわければ、家人が在宅でも、問題はないことがわかった。

今回も、色々なことを感じ、新たな気づきもあり、受講してくださる方のおかげで、自分が育てられることを実感して感謝の気持ちで一杯になった。